ハルじいさんの著作権コラム  -  【 シリーズ1 】    |     シリーズ2へ → 


   【 シリーズ1 プレリュード 】  [2007/10/13]

「著作権は大事なものらしいけど、なんとなくメンドー」… 確かにその通り。
けれども、テレビやライブで見かけたところにも「そうなんだ!!」と思うことがいっぱい詰まってる。
音楽業界仕事Naviの著作権担当講師の分身らしいハルじいさんが、著作権のちょっといい話を、こっそり教えてくれる。
勉強だなんて思わずに、こそっとのぞいてみよう。

   【その1】 印税って一体なに?  [2007/10/13]

夢の印税生活… いい響きだね。私も若い頃は憧れていたもんだ。
けれども「印税」って一体どんなものなんだろう。印税がたちどころに解る魔法の式を紹介しよう。

 1枚いくら×何枚=印税

そう、これだけのこと。
この1枚はCD等の場合で、放送なら「1回OAいくら」、着メロなら「1回送信いくら」、
バンドスコアなら「1冊いくら」… となる。
普通お金をもらう場合は、もらう前にいくらにするか決めるよね。
印税でもそうした決め事はあるけれど「1枚売れたらいくら」しか決めない。
たとえば1枚10円だとすると1,000枚売れたら1万円、100万枚売れたら1千万円、という具合になる。
売れれば売れるほど儲かるのが印税。
だから印税で生活しようとすると、相当売れなければならないんだね。
実際にCD1枚の印税はいくらになるかというと、著作権の場合は、日本では価格の6%となってる。
だから1,500円のミニアルバムだと、1枚あたり90円。とすると100万枚売れても9千万にしかならない!!?
確かに9千万円は大きいけど、これで一生食べてくわけにはいかないよね。
そこにちょっとしたカラクリがある。それは次回に…

正確を期するための注意:
CDの著作権印税は「価格の6%」と言ったけれど、大手のレコード会社の場合は、
価格から「価格の5.35%」と、ちょこっと控除する。これを曲数で割るわけ。
また100万枚売れたとしても大手のレコード会社の場合は、その80%、つまり80万枚で計算する。と、
(1,500−80.25(←1,500円の5.35%))×6%×800,000=68,152,000
になる。あれ、9千万円よりだいぶ少ないねえ…

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   【その2】 作家と他の人たち  [2007/10/17]

夢の印税生活〜ちりも積もれば山となる
ここで私は、ちょっといい話、内緒話をするつもり。でもその前に確認しとかなきゃならないこともある。 今回はそれに充てることにしよう。少々長いが勘弁してくれ。次回からは、もっとすっきりやるからね。

《 夢の実現には 》
前回CDの印税についてお話したね。100万枚売れても大したことないんだね。だから次々CDを出すんでしょうかね。 これはほんの冗談。100万枚売れたら大変なことになるんだ。著作権というのはCDに使われた時だけが対象になるわけじゃないよね。 ライブで演奏されたり、放送で(生だろうが、CDをかけようが)OAされたり… いろんな使い方がある。

絵画の場合だと、使用するったって写真に撮って画集にするくらいしかないけれど、 音楽の場合は、それこそいろんな形で使われる可能性がある。 売れれば売れるほど、いろんな形で使われるようになるよね。ヒットすればまずカラオケ、着メロになる。 放送でもじゃんじゃんかけられるようになる… こうして売れれば売れるほど、CDの売り上げからも印税が入ってくることになる。

前回CDが100万枚売れれば6,800万円になると言ったけど、他の形でその数倍(もっと多いかな)の印税が入ってくる。 こうなると「夢の印税生活」も現実を帯びてくるよね。 長く残るような曲(スタンダードとかエバー・グリーンとか言う)になると毎年何千万の印税が入ってくる、かもしれない。 ただしこれは「売れた時」のこと。売れなければ、CDの印税しか期待できない。どうしたら売れる曲はできるのかね。

《 ミュージシャンは厳しい 》
ところがこれは著作権だけのこと。著作権というのは、詞を書いた、曲を書いたという「著作者」(我々は「作家」という言い方もする)だけの権利。 そしたら演奏しただけの人はどうなるんだろう。

唄っただけを含む、演奏だけの人には、こうした形の印税は入らない。 この人たちが印税を得られるのは、その人たちの演奏、唄を使った時、≒CDという形で使われた時だけ。 そうすると着メロやカラオケ(カラオケはオリジナルカラオケと寸分違いなく作られているけれど、カラオケ業者が作ったもの)は関係ないことになる。 そうすると著作権とはだいぶ印税の額が違いそうだ。そう、だいぶ違う。

今のミュージシャンは自分(たち)で作った曲を唄う、演奏することが多くなっているので、あまり問題にならないかもしれないけど、 いわゆるアイドル歌手とか演歌歌手の場合は、印税という点からするとかなり厳しいね。 まあ、印税を稼ぐことだけがミュージシャンの目的じゃないけれど。

《 厳しいのはアレンジャーも同様か 》
アレンジ=編曲、ってどんなものだろう。フツーに考えれば「元の曲があってそれに手を加えたもの」ということになるけれど、 じゃあ、その「元の曲」とはどんなものだろう。クラシックみたいにスコアが出来上がってるものだろうか。 そういうものが書ける人は我々のいるポップ、ロックの世界でどれだけいるだろうか。いないとは言わないが、とても少ない。

ということは、作曲なんてただメロディを作り、少々コードがついているくらいか (譜面のかけない、読めない人もいる。もちろん、それだからと言って、作曲者、ミュージシャンとして一流じゃない、ということにはならないけど)。 そうなると、そうしたものにアレンジを加えて他人様に聴いていただけるようにするには…  相当の技、というか音楽性が必要になる。編曲者と作曲者は同等くらいかもしれない。

けれども、編曲者にはそのような権利は与えられていない。編曲者に著作権を得る手立てはないことはないが、かなり敷居が高い、そそり立つような壁がある。 じゃあ、編曲者は1円にもならないの? そんなことはない… けれども、バックミュージシャンと同じで1曲数万円がもらえる程度。 印税じゃないから、いくら売れても、この「数万円」が大きくなることはない。著作者以外厳しいなあ…

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   【その3】 ギターリフもアレンジにすぎない  [2007/10/23]

アレンジには著作権はない、ごく一部の場合を除いて。そうするとギターリフはどうなるのだろう。
ギターが伴奏ともカウンターメロディーともつかない音を鳴らすこと。 ジャンルにかかわらず耳にすることも多いが、特にハードロック、へヴィメタルの場合には、ほとんどこれなしに曲は存在しないくらい。 リフ、特にギターリフを聴いただけで何の曲か解るくらいだよね。

ところがこれ、著作権的に考えれば編曲の一部。ということは、印税にならないんだ。 ハードロック、へヴィメタル系のグループで、リフを生み出した人が作曲としてクレジットされないことは、あまりないけど、 もし作曲者として扱われていなかったら、いくら売れても印税をもらうことはできない。

ギターリフなしでは考えられない曲がある。反対に唄のメロディーが、まるでリフのような曲もある。 でもアレンジはアレンジなんだ。それからも一つ、曲のイントロ、これもアレンジにすぎないんだ。 「なんだかなあ」ではあるけれど、そういうものなんだ。 唄メロは書けないけれど、ギターリフが得意な君、ちゃんと「作曲」にしてもらおう。

でも、このギターリフだけを取り出したらどうなるのだろう。 某UCCのブラック(はっきり言っちゃってるじゃない!?)のCMでディープ・パープルの「ブラック・ナイト」のイントロ=ギターリフだけが使われている。 「これってアレンジの部分だけを使っているだけなので、曲を使ったことにはならないよね」とはいかない。 イントロだけを使った場合でも、丸々その曲を使ったことになるからだ。

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   【その4】 作家とミュージシャン、えらいのはどっちだ  [2007/10/31]

ずいぶん乱暴な質問だとは思うが、若い人にはこういう問いかけをしている。
結果は大体想像の通り、作家1:ミュージシャン1:両方1、とちょうど1/3ずつくらいになる。
「じゃあ、あんたはどう思うの? 」と言われると実は困る。強いて言えば「両方えらい」か。
「それじゃ答えになってないじゃない、だったらなんで訊くの!? 」確かにその通り…

だがちょっと待ってほしい。音楽というものは、その性質上、誰かが演奏してくれないと我々が受け入れることができない。
楽譜を見ただけで(何の楽器も使わずに)頭の中で、その曲を演奏することができる人もいるけれど、 そんなのは、例えば芸大の学生さんとか、ごく限られた人にできるだけ。たいていの人は、誰かに演奏してもらい、それを聴くしかない。
とするとミュージシャンがいなければ、そもそも音楽は成り立たないことになる。

クラシックの世界に限らず、違う人が演奏すると(アレンジも変わることも多いけれど)また一方で、一味違いが出てくる。
とはいってもオリジナルの方がいい、けれど「風に吹かれて(Blowin' in the Wind)」はボブ・ディランの原曲よりも、 PPM(Peter Paul and Mary)の方が出来がいい、ということもある。(例が古いのは、じいさんゆえ、許してくれたまえ。)
とにかくそこには違いがある。そうすると「どちらがいいか」という比較の対象になる。

曲が同じでも演奏で区別できるわけなんだな。またどう考えてもヘタなんだけど、「味がある」なんてこともあるしね。
ということは、曲を演奏するということにも相当重い意味がありそう。 ひょっとすると同じくらいの権利があってもいいのかもしれない。

ここでちょっと補足を。

作家の持つ権利(著作権だね)とシンガーを含むミュージシャンの権利(こちらは「著作隣接権」という、 ま、言葉なんかどうでもいいけど)には、少しというか、だいぶ違いがある。

保護される期間とか、送信可能化権とか(「何それ!? 」なんてあわてないで。いずれお話しますよ)、それから著作者人格権がないという違いがあった。 「あった」と言ったのは、ミュージシャン(これは著作者に対して「実演家」という。 なんだか古めかしい言葉、じじいが言うのもヘンだけど…)にも一部人格権が認められてる。

これは世界的な傾向(国際条約などによる)でもあるんだけど、当然といえば当然かな。これによって実は、すごいことになる。 演奏した「音」を使ってないカラオケや着メロはミュージシャンに関係ないと「その2」で言ったけれど、 この人格権のおかげでお金がもらえるように… なればいいんだけど、今すぐというわけにはいかない。でもいずれそういうことになるだろうね。

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   【その5】 共作の落とし穴  [2007/11/08]

作詞、作曲を共同ですることはよくあるよね、特にグループなんかの場合。 「作詞はボーカル、作曲はギター」という具合に、作詞と作曲がバラバラなら簡単だけれど、 「作詞はボーカル、作曲はボーカルとギター」というふうになるとちょっと面倒なことになる(かもしれない)。 ボーカルとギターで、曲の比率はどうなるんだろう。

一番簡単なのは、「えいやっ」と半分こすることだよね。 でも実を言うと、詞も含めほとんどボーカルが書いたなんてこともよくある。 「その3」で言ったように、ギターはギターリフだけを担当したような。 どの部分がボーカルのもので、どの部分がギターのものかというのは本人同士の取り決めだから、どのように決めてもかまわない。 けれども、印税を割り振るとなるとどうなんだろう。

ギターリフだけ、だとちょっと微妙だけど、ほとんどボーカルが書いていて、ギターはさびの4小節だけ、なんてなると 「本当に半分ずつでいいんだろうか」という疑問が湧いてくる。 法律的な決まりとしては「半分ずつにしなさい」なのだけれど、これは日本(を含めた多くの国)の考え方。 イギリスとアメリカでは「それぞれの持分に応じて」となるのが普通。 ここで挙げた例だと「作曲:ボーカルが9、ギターが1」くらいかな。

法律的には、日本の場合半々にしなければいけないけれど、さっき言ったように「本人同士の取り決め」だからアメリカ方式をしたって全然かまわない。 なので、そうする人たちも増えているみたい。 最近「作詞:ボーカル、作曲:グループ4人全員」みたいなクレジットを見かけるよね。 これって「実はボーカル一人で作詞、作曲した。リハーサルの時他のメンバーも(これは、本当は関係ないけど)アレンジしたり、 助言したりしたので均等割りにした」なんてことなのかな。

こうしたこと、実は危険なんだ。 どっちの場合でも(しつこいけど「本人同士の取り決め」だからいいはずだけど)「売れると、もめる」原因になってしまう。 初めの方だとギターが「半分よこせよ」と言い出したり、反対にボーカルが「お前多すぎるよ」と言ってみたり。 後の方だとボーカルが「全部俺のもんだろ」と言ってみたり、反対に他のメンバーが「もう少しよこせと」と言い出したり… きりがなくなる。

こういう話、本当に不幸だ。でも実はよく聞く話でもある。 残念ながら、こういう話は売れて印税がたくさん入るようになると起きてしまう。 作曲の4人分全部あわせても5万なら「飲みに行こうぜ。ボーカルはなんか機材でも買えば…」なのに、 ボーカルが作詞で1,000万だったりすると「何でお前らに250万もやらなきゃいけないんだ」となってしまうからだ。 こうしてグループは喧嘩別れしてしまう… こんなことなら、売れなきゃよかった… 本当に不幸な話だ。

こんな不幸なことを防ぐ根本的な方法は、残念ながら、ない。 均等割りにする、それぞれの持分にする、どちらの場合でも、もめる可能性があるからだ。 だから、強いて言えば、あらかじめ(インディーでも何でもCDがリリースされるようなタイミングで)メンバー全員でどうするか決めておく、 できれば著作権に詳しい人から話を聞いて、どちらにも長所、短所があることを全員がよく理解しておくことだろうか。

音楽が好きで、他のメンバーの音楽性が好きで集まったのだから、こんなことを考えたくないだろう。 けれども売れた時のことも考えておきたい。 「そんなこと、売れてからでいいよ」では手遅れになるかもしれない、いや、手遅れなんだ。 せっかく集まったメンバーが喧嘩別れしないためにも、ちゃんと話し合おう。 よく理解した上で、同意しよう。そして、できたら、紙に書いておこう。ずっと一緒にやっていきたいのなら…

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   【その6】 アレンジはどこまで許されるのか  [2007/11/16]

元々がクラシックのようにスコアがあるわけではなく、メロ譜にコードネームだけ、あるいはピアノ伴奏譜がついているくらい、 な場合、アレンジはどこまで許されるのだろうか。 これはほとんど無制限、いくらでも許されると考えていい。 それどころか原曲のメロディーまで自由に変更したってかまわない、ある限度を超えなければ…

テンポを変える、リズムパターンを変える、これくらいなら別に違和感はないだろう。 けれども大幅にメロディーを変えたり、曲の構成を変えたりすると、ちょっとどうなのだろう。 放送などで取り上げる場合は、どうしても短くする必要があるので、時々不自然なことがある。

古い話で恐縮なのだが(じじいだから許してくれたまえ)、布施明の「シクラメンのかほり」をOAする際、 「女性と会った→別れた」というとても奇妙な形になってしまった。 これは「女性と会った→恋した→別れた」の真ん中を抜いてしまったため。 こんな乱暴なことでも、作者の意向を聞いた上で行っているのでまったく問題ないが、勝手にやるとなると、どうなるのだろうか。

著作権はお金になるもの、どなたか他人様が使うとお金が入ってくるものだ。 著作権にはこればかりでない要素がある。 著作者人格権。 名前は堅いけれど、考えてみれば当たり前のこと。 心血注いで作ったもので、「自分の子供のような存在」(と、よく言われるけど、ホントにこんなに大げさなのかね) を本人が知らないところで勝手に変えちゃまずいよね。 このことを著作者人格権のうち「同一性保持権」(これも堅い)という。 要するに「私の作った曲はそのまま演奏してね」ということだ。 もちろん、これは音楽だけでなく、小説や絵なんかでも同じこと。

そうするとアレンジと同一性保持権の関係はどうなるのだろう。 オリジナルを作った人が、徹底的に同一性保持権を言い出すとアレンジは一切出来なくなってしまう。 これはこれで変な話だね。 実のところ、現場では替え歌(詞の同一性保持権に関わること)以外はあまりうるさくは言わないようだ。 だって元からある曲にインスパイアされて、新しい曲ができるなんて普通でしょ。 というか、完全に「オリジナルの曲」なんて存在しないのかもしれない、あったとしても、誰もいいとは思わない曲なのかもしれない。

じゃあ、どこまでならいいのだろう、一番初めに書いた「ある限度」ってどこなんだろう。 ものすごくセンチメンタルだけど「オリジナル曲、それを作った人に敬意を表していれば」いいんじゃないかな。 ぶち壊してやろう、傷つけてやろうなんて考えずに、すばらしい曲なのでそれを尊重しました (で、「私が手を加えたらもっとよくなったでしょ!?」って事も含めて)ならばいいんじゃないかな。 でもこの世界にそれを判断する人は、裁判官を含めて、いないから少々厄介だけどね。

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